リトリート森と私
December 31, 2016
「小川の浅い流れは、たえず低い水音をたてながら休みなく流れるので、水は澄んで流れの底の砂地や小石、時には流れをさかのぼる小魚の黒い背まではっきりと見ることが出来る。だから季節があたたかい間は、朝、小川の岸に出て顔を洗う者もめずらしくない。・・・
人はそのことをことさら外にむかって自慢するようなことはないけれども、内心ひそかに天からもらった恩恵なるものを気に入っているのだった。」(藤沢周平作「蝉しぐれ」より)
自然の描写が美しく、これだけでも癒されます。森の中に入って自分を取り戻す瞬間は、今も昔も変わらず、誰もが気付く感覚ではないでしょうか。
一方、鬱屈としたものを抱えながら、現実に押し潰され、行く先を見失い、暗闇を彷徨ってしまう日常もある。そんな時、闇夜でも利く梟の目がほしくなる。森の長老や知恵袋として物語に登場する梟。利害や感情を捨てて、物事の本質を見定める森の哲学者とも言われています。日中は眩しくて見定めが出来ないが、闇夜なら出来る。森の中でしばらく目を閉じていると見えてくる感覚と似ていますね。
森の中に入り、自分を取り戻す。決して善人ぶらず、弱者の正義を振りかざさず、何かに救いを求めたい。無頼でありたいが、何かに頼りたい時がある。そんな弱さに気づき素直になれるのが森の中であり、そこで出会った人です。
「リトリート森と私」のプログラムは、自然観察でもなく、健康の為に森を歩くことでもありません。澄んだ空気の中で美しいものにワクワクし、幼いころの感性を呼び戻す。それは何なのか? あるがままに身を森に委ねることで自分がここに在ることに気づき、立ち止まる勇気を出せる。迷ったら又、森に還ればよい。その繰り返しの中で、本来の自分が見えてくる。知ることより、感じる。あなたと森を歩きます。